スンバ人気質

 我家では一組のスンバ人夫婦が働いてくれています。スンバとはバリ島の東、約1000km程に位置するスンバ島(スンバワ島ではありません)に住む民族の呼称です。
 インドネシアの中では、バリ人は舞踊的な音感に優れ、ジャワ人は楽器演奏に長けており、スマトラのパダン地方の人々は商業的な才能を持っていると言われていますが、スンバ人は家屋建築や庭園整備の才が優れていると言われます。
 我家の周辺は現在空前の建築ラッシュで、歩いて5〜6分の範囲には10〜12程のVilla建設が行われており、その現場で働く職人の殆どがスンバ島から来ている人々です。
 従っていずれの建築現場でも職人同士は知り合いだったり同郷の好で常日頃から大変仲良く交流し、職人の貸し借りも盛んに行われています。
 ところがある週末、我家の直ぐ近くの現場の職人が近くの飲み屋で一杯飲んでの帰り道、日ごろ親しい別の現場に立ち寄り、親しく談笑していた時に酒の勢いもあって喧嘩沙汰になり、相手は大勢のため立ち寄った一人の職人は皆から袋叩きにされ近くの水田に投げ込まれると言う事件が発生しました。

 喧嘩に負けた本人は自分が働く現場の宿舎に逃げ帰ったのですが、泥だらけの彼を見て仲間の職人達が10人ほど集まって相手の宿舎に仕返しに押しかけたところ、相手もそれを予想しており仲間を集めて応戦したため大喧嘩に発展し、怪我人が6人ほど出てしまい警察が駆けつける騒ぎになりました。怪我人5人を含む全員が警察
に引っ張られたのですが、中に一人要領の良い奴がいて怪我はしているものの、独りだけ逃げ出す事に成功しました。時刻は既に夜の11時を回っています。

 怪我をして逃げたこの男、実は昨年の12月に我家で1ヶ月ほどアルバイトをした男で、寄りによって我家に逃げ込んできたのです。異常に気づいた私が逃げ込んできた男に詳しく事情を聞き、一人だけ逃げたと言うので「それはまずいだろう。私が付き添うから今から警察に出頭し事情を説明すべきだ」と説得したのですが、彼は
逮捕されると刑務所行きだから嫌だと言って私の言う事を聞きません。そこで私は重ねて「大丈夫だ。警察には私の知り合いも元日本語を教えた生徒もいるので逮捕される事は決してないように頼んであげる」納得させ、頭から血を流している彼を車に乗せ警察まで同行しました。

 果たして警察では知り合いの警察官がビックリして「何でバパッがこんな奴らと関係があるんだ?」と聞きますので「実はこれこれしかじか」と説明して彼を引き渡したところ、何と知り合いの警察官が言うには「自ら出頭したと言ってもやはり一応は逮捕しなければならない」と言います。「当然だろう」とは思いつつも、逮
捕されては同行してきた男との約束を破る事になってしまうので「何とか穏便に取り計らう方法は無いか?」とヤンワリと鎌をかけると、警察官が言うには「袖の下1ジュタ(日本円で1万円)が用意できるなら一応逮捕と言う形になるが明日の朝には釈放出来る」と言いますので、私は仕方なく1万円を明朝持参する事を了承し引き
換えに彼を貰い下げることを確約して帰宅しました。

 帰宅してベッドに入ったのですが、今しがたの出来事を冷静に思い返している内に「待てよ!一人だけ解き放っても、現在逮捕されている職人達は日頃は全員仲良く付き合っているスンバ人だから、後で皆から、あの日本人め!一人だけエコヒイキしやがってと恨みを買うかもしれない」と思い当たり、再び警察に出向き「怪我
人6人を貰い下げるには袖の下は幾らだ?」と聞くと「6人だから6ジュタだ」と言いますので「それは何ぼなんでも高いだろ?少し負けろよ!」と賄賂の値切り交渉をすると「3ジュタでどうか?」と言いますのでこちらも折れて了承し帰宅しました。
 翌朝3ジュタを持って警察に行き、「今後は決して問題を起こさない」と書いた書類に全員にサインさせ署長と私が証人のサインをして彼らを貰い下げ、全員を病院に連れて行き怪我の手当てをして宿舎に送り届け、ようやく一件落着となりました。

 ところが彼らの両宿舎にはクパラ・トゥカンと呼ばれる棟梁がいるのですが、バリ島では職人の不始末は棟梁の責任となるため、私が彼らを助けた事で二人の棟梁は責任を取らずに住んだ事になり、先ず片方の現場の棟梁が喧嘩に参加した全員8人を連れて、5kg入りの米袋を三つ抱えて謝礼に訪れました。折角来たのですから
全員で夕食をして帰したのですが、彼らは翌日には喧嘩相手の仲間に「俺達は日本人の家に礼に言ったぜ!」と自慢したものですから一方の棟梁も配下を連れて他と同様に米袋三つと鶏三羽を持って謝礼に来てくれましたので、早速鶏三羽を絞めて彼らと共に食事をして帰しました。
 これで完全に一件落着と思ったのですが、翌日から毎日一人ずつ職人が泊まりに来ますので理由を聞くと、棟梁の「当分の間交代で世話になった日本人の家の夜警をするように!」との言いつけがあったと言います。

 ビックリして私が「時々遊びに来てくれるのは良いが、彼らは昼間は建築現場で働いているのだから我家で夜警として働く必要は無い」と棟梁に断ると、二人の棟梁は「バパッが釈放金を出してくれ病院代まで払ってくれたと聞かされている。米と鶏三羽ではお礼としては少なすぎるので、夜警が駄目なら何か手伝う事は無いか
?」と熱心に言ってくれますが「今は特に無い」と言って断り続けていると彼らは「プールの周辺が良く整備されていないのと内壁の壁に水垢が付いているのでそれを修理しよう」「プンバントゥ(お手伝いさん)の家の入り口の壁に屋根があった方が良いので屋根をかけよう」と話がだんだん大きくなってきます。

 少し心配になった私が「両方とも計画中だが見積もりを取ると両方とも日本円で10万円位ずつかかり今は全く出来ないので、金が出来た時に改めて依頼する」と断ると「金は必要ない。材料だけ買っておいて欲しい(材料費だけなら滅茶苦茶安い)職人の日当は不要だ。どうしても払いたいなら一人一日タバコ一箱で良い」と言
って引き下がりません。
 それならばと了承し二日後の日曜日、未だ材料全てを買い揃え終わっていないにも拘らず、朝8時門前が騒がしいので出てみると、荷台一杯の砂と材木を積んだトラックと、セメントを詰め込んだ小型のコンクリートミキサーを積んだトラック、それに職人10人が分乗して門を開けるのを待っています。
 10人の人海戦術は凄いもので、プール周辺の整備と内壁清掃が僅か一日で終了しました。
 この時私が用意できていたものは釘とセメント数袋位なもので、プール周辺の整備代10万円のところを彼らのタバコ代1000円と昼食、夕食代(かなりご馳走を作りました)も含めて1万円弱で住みました。
 別班の屋根修理にしても、材料費、食事代、タバコ代の数千円だけで、これも一日半ほどで終了しました
 6年間バリに住んでいてこんな経験は初めての事で私もビックリしていますが、村長が尋ねてきた時も彼は「スンバ人とは何と義理堅いんだ!バパッは良い子分を持った」と非常にビックリしていました。
 建築現場の職人で刺青をしている者もいてゴッツイ男ばかりで決して柄が良いとは言えませんが、心根は良い奴ばかりで私が現場を通りかかると屋根の上からでも手を振り大声で私を呼びますので少々テレますが、若い連中との付き合いも又楽しいものです。

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