語り継がれる日本軍兵士


スクラ・スクリ記念碑
 Penarungan(プナルンガン村)

マルガラナに祭られた11名の日本人兵士の内、2名の兵士(松井久年=バリ名・スクラ、荒木武友=バリ名・スクリ)は、特にこのプナルンガン村に功績があったことで、郡役所の庭に二人のための記念碑が建っていたが、2005年11月20日、彼ら二人の功績を未来に語り継ぐ事を目的に、村営小学校の校庭に移設された。

    スクラ・スクリ慰霊碑
Belumbungan(ブルンブンガン村)

スクラ、スクリの二人は、ここブルンブンガン村でも戦後60年経った今日まで、村人達から慕われ続け、村の守り神として寺に祀られている。

寺の境内に建つ二人の慰霊碑は、役所に勤務する人から月に10000ルピア、他の人からは月に1000ルピアの寄付により、6年の歳月を掛けて2005年11月20日に除幕した。
 






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  日本軍兵士、オオタテ像

第2次大戦当時の日本軍に対する評判は芳しくない。特にアジアにおいては多くの歴史的な事実として日本軍の行動が今尚物議をかもしている。

しかしここバリ島では、日本軍に対する評価は他と全く異なり、日本軍又は日本兵士を高く評価する傾向が大変強い。この像のオオタテ(バリ名=イ・クトゥット・スニア)なる日本兵も、日本敗戦後のインドネシア独立戦争時にバリ人達に尽くしたことで、クロボカンと言う土地の人々から、神とも言える処遇を今日まで受け続けている。

私がインドネシア独立戦争に参加した日本軍兵士の足跡を調べていることを知ったクロボカン町議会から「貴方が調べていることを議員や町民に話して欲しい」との依頼を受けて、町議会で講演した。

写真は、右から教育長、町長、私、父親が当時この地を統括する部隊長でスニアの親しい友人だったというバリ人。一番右は現・在郷軍人会地区長。